地域に暮らす人々を見守る十一の顔
金色に輝く十一面観世音菩薩は、「赤田の大仏」として地域の人びとに広く親しまれてきた。頭部に11の顔を持ち、あらゆる方角に顔が向いていることから、多方面にわたる救済者を表している。約9mという高さゆえに迫力があり、こちらを見下ろす目にはじめは不気味さを感じるが、慣れてくると私たちを見守る優しい表情にも見えてくる。
左手には功徳水が入った水瓶に智清・慈悲を表す未開蓮を持ち、右手は衆生の願いを成就させる意をもつ与願印に約10mの錫杖を持っている。
長い歴史と人々の信仰
長谷寺は安永4年(1775)に是山泰覚和尚によって創建され、彼の発願により天明6年(1786)に赤田の大仏が造立された。観音像建立当時、二丈六尺の観音像は大和・鎌倉・会津と、日本に3体存在した。これに加え赤田に観音像を造り、四天王として国家を安全にしたいという想いから、是山和尚は十一面観音像の建立を決意したという。
明治21年(1888)に境内の全てを焼失し、現在見られるのは明治29年(1896)に再建されたものである。寛政期には亀田藩の武運長久と領内の五穀豊穣の祈願所となり、その後も永く地域の人びとの厚い信仰の対象となっていた。
大仏殿の外観も見どころ
門前に咲く色鮮やかな花を横目にまっすぐに伸びる参道をのぼると、自然に囲まれた静寂が広がる境内に出る。手水舎や舎利殿などが置かれているが、一際目を引くのが二重屋根の大仏殿である。
大仏殿の外観をよく見てみると、柱や梁に非常に繊細な彫刻が数多く施されている。これらは、長谷寺の棟梁であり、明治期に当地方で最も著名であった宮大工の小川松四郎によって施された。龍や獅子、獏などの生き物や菊や蓮などの花が彫られ、見る者の心に迫る、凄まじさがある。
扉を開けると大迫力の大仏さま
大仏殿の正面の扉を開けると、大迫力の観音像が目に飛び込んでくる。観音像とともに金色に輝く幢幡や常花が豪華絢爛である。観音像の脇には不動明王像や蔵王権現像が、後背には無数の千体仏が立ち並んでおり、その荘厳な雰囲気に息をのむ。
大仏殿内は美術品が豊富で、なかでも格天井の「三十六禽之図」は、本荘に生まれ、藩のお抱え絵師として活躍した増田象江によって描かれたものである。
大仏殿は外装内装ともに芸術性が高く、観音像と併せて一見の価値のある文化財である。
地域の人々の心のよりどころ
赤田の大仏・長谷寺を建立した是山和尚は、赤田出身の僧である。生涯において修行や荒行に励み盛んに加持祈祷を行い、多くの堂塔・石仏を建立して人々を救おうと奔走した。さらに、藩主からの厚い信任により藩政や財政に関わったり、多くの民俗芸能を伝えたりと、その活躍は幅広いものであった。
飢饉や幕末期の不安な時代を生きる庶民にとって、是山和尚への信仰は心の支えとなっていたのであろう。彼に関する逸話がいくつも残されており、是山和尚の膨大な数の遺品類が地域の各家々で保存され、守護神として崇拝されてきた。また、建立の際には領主の奥方や富家、諸国などから多くの寄進があったという記録が残っている。
観音像と長谷寺は、人びとを守りたいという是山和尚の想いと、当地域にゆかりのある棟梁や絵師の技術がつまっている。当時まれにみる大工事であったにもかかわらずこれらの造立を成し遂げられたのは、地域の人々の是山和尚への厚い信仰心があったからではないだろうか。
現在では「東光館」という施設にて、赤田地域の伝統文化の保存・伝承が行われている。赤田の大仏や長谷寺、是山和尚への信仰心は、これからも地域の人々に大切に守られ受け継がれていくであろう。
長谷寺や観音像の芸術性と、それらを守る地域の人々の想いに、ぜひ触れてみてほしい。
文/秋田大学 池田
Information
日本三大長谷観音の一つに数えられる巨大な観音像「長谷十一面観世音菩薩」(高さ9m、木製金箔押し)があり、「赤田の大仏」と呼ばれ親しまれています。是山禅師が大和、鎌倉の十一面観音像にあやかり天明6年に造立されました。その後、明治21年に焼失、8年後に再建され、昭和61年本荘市有形文化財指定されています。全国的にも珍しい神仏混淆の祭典が行われることで知られている。いつ行っても大仏を見ることが出来ます。
長谷寺「赤田の大仏」
〒015-0023 秋田県由利本荘市赤田上田表115
☎0184-22-1349
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