文化・歴史

横手城

横手城を訪ねて横手を知る 旅のはじまり

 横手城は、一五五四(天文二三)年頃、小野寺輝道により築城されたと伝えられている。この城には石垣は存在せず、その代わりに城を取り巻く急斜面に韮を植えていた。そうすることで土崩れを防ぐとともに、敵の足元を滑らせて這い上ることができないような仕組みとなっており、このため別名を韮城ともいう。

 一八六八(慶応四)年の戊辰戦争で、新政府側についた秋田藩は近隣諸藩の攻撃を受ける。このときの争乱により、当時の横手城は郭内残らず焼亡してしまった。現在天守閣型展望台として存在する建物は、一九六五(昭和四〇)年に建てられた鉄筋コンクリート製のものであり、市民からは「お城山」として親しまれている。この天守閣型展望台が存在するのは本丸跡地ではなく、二の丸跡地である。

横手城の城代

 一六〇一(慶長六)年の正月、関ヶ原の戦いで改易の身となった小野寺義道の代わりに、佐竹義宣が秋田に入部した。佐竹義宣は横手城を領国の南部を統括する支城として整備し始めた。『国典類抄』によると、当時の規模は東西二六間(約四七メートル)南北四三間(約七八メートル)だったという。横手城の城代は、初代を伊達政宗の叔父である伊達盛重が務めたが翌年更迭され、二代目の須田盛秀に代わる。盛秀は藩主佐竹義宣の命を受け、橫手川の一部を付け替え家臣の居住地を拡張した。第五代の戸村義連以後は最後の一二代に至るまで戸村家が代々世襲して務めた。

なぜこの場所に

 戦国時代と江戸時代の城下町の一番の違いはその立地にある。戦国時代は軍事が優先であり、城は山頂部に築かれることが多かった。江戸時代は政治経済の中心にふさわしい平地に城を構え、城と町をつなぐ交通の利便性が優先されていた。

 横手は戦国大名小野寺氏の本拠地で、横手城は、奥羽山脈の山並みが橫手川の河岸段丘に向かう先端部に築かれた、典型的な山城だった。資料が少ないため詳細は不明だが、この地には小野寺家臣団の町が営まれており、そこに常陸から移ってきた佐竹家臣団が平鹿郡一帯を軍事的に制圧したと言われている。そして佐竹勢が小野寺家臣団の屋敷を接収し、江戸時代の城下町に少しずつ変えていったのだろうと推測される。江戸時代の城下町には全国的に共通するいくつかの特徴がある。二つあげるとすると一つは、武士や職人集団が大名のもとに結集して暮らす都市であること、もう一つは水運が利用できる水辺の場所であるということだ。水運には米や薪などの物資、建築資材を運ぶための物流としての利点もあるが、防衛上の観点からみると城を守る外堀の役割もある。

 横手城もこの特徴にあてはまるところがある。東側の奥羽山脈にある立地から、薪流しに向いていた。しかし、橫手川の急流は年貢米を集めるには適さなかったため、積雪期にはソリが活用されたようである。また、横手城を囲むように流れる橫手川は外堀の役割も果たしていた。

←横手城と周辺の地図

↑横手城の展望台からの景色

蛇の埼橋の今と昔

『横手城之図』
柴田楳渓筆・小松鳳来写
柴田楳渓が大正時代末年に描いた全景図を小松鳳来が模写したものである。楳渓は戊辰戦
争で消失する前の横手城を見覚えていたという。

柴田楳渓
(嘉永5年1852-大正11年1922)
楳渓は父に絵の手ほどきを受けていたが、30歳のとき京に上り、四条派の幸野楳嶺に入門した。しかし母の病気のため三年で京を去り、横手で十四年間、母を看取ることとなる。絵だけでなく、和歌・俳句・狂歌など多方面で活躍した文化人。

 正面入り口は下根岸町にあり、ここから本丸までの高さは約47メートルある。稲妻状に駆け上がる急な七曲坂の階段が大手筋である。ここを上りきった二の丸入口に多門櫓の大手門があった。ここからさらに約9メートルの階段を登ってようやく本丸に辿り着くことができるのだ。現在、蛇の崎橋からは再建された横手城を眺めることが出来る。当時の人々もここから横手城をながめていたのだろうか。

 楳渓は蛇の崎橋から見た横手城を描いたとされている。蛇の崎橋の名前の由来には諸説あるが、その一つに、昭和二〇年頃まで川岸の補強として並べていた蛇籠(竹や藤蔓で編んだ籠に石を詰めたもの)が蛇腹のように見えたという説がある。他にも菅江真澄が残した言い伝えを由来としたものもある。後三年合戦のとき、源義家が敵に攻められてこの橋を渡ろうとした際に川に落ちたが、護岸用の蛇籠につかまって助かることができた。そのことから「蛇籠が崎」と呼ばれ、それが転じて蛇の崎になったといわれている。

 現存する蛇の崎橋は、都市計画事業や河川改修事業のもと、平成十三年に作られた新しいもので、それ以前に70年ほど親しまれたコンクリート製の旧橋があった位置には、記念モニュメントがある。古くから横手の町と町をつなぐ重要な役割を果たしていた蛇の崎橋。通る際に横手の歴史について思いにふけてみてはどうだろうか。

 山城だった横手城には、武士たちが本丸に到着するまでに一時休息するための腰掛けが設えられていたという。七曲坂上り口の広場に大腰掛けの覆い屋があったようだ。本丸に登る階段下と、本丸の表門をくぐった内部にも同様の腰掛けが用意されていた。これは単に本丸に上り下りするのに呼吸を整える必要があるからだろうが、横手城に出入りする武士たちに年老いた者もいたことも示唆しているだろう。久保田の本城にはこのような腰掛けはなかったようだ。

宇都宮釣天井事件

 横手は本多正純・正勝父子が将軍暗殺計画の疑いをかけられ、幽閉された土地である。

 本多正純(一五五六~一六三七)は江戸当時の政治において智謀に優れた人物で、その父正信と共に徳川家康に信頼された最高峰の側近だった。家康から信頼されていた正純は多大な功績を残し権威をふるっていたが、それを快く思わない家臣も少なくなかった。そんな中、第二代将軍秀忠の暗殺を企てた嫌疑(一六六二年・宇都宮釣天井事件)により、横手に配流された。元和八年(一六二二)家康の七回忌にあたって、秀忠が日光東照宮へ参拝した帰りに正純の居城である宇都宮城へ一泊する予定だったが、「正純が釣天井を造り、秀忠を暗殺しようとしている」との噂が流れたため、秀忠は宇都宮城へは泊まらなかったというのが宇都宮釣天井事件の経緯である。釣天井とは、天井裏に大きな石を載せ天井が徐々に下がって部屋の中にいる者を圧死させてしまう仕掛けである。実際には、宇都宮城にそのような仕掛けはなく、正純が失脚したのは他の原因だとされている。

 横手に配流され、佐竹藩の預かりとなった当初は佐竹氏に手厚くもてなされていたが、そのことが幕府に知れた後は、光も差し込まない一間に十三年幽閉され寛永一四年(一六三七)七十三歳で生涯を終えた。横手城の本丸直下には、当時田野沢の沢水を堰き止める堤があり、その先に本多父子を幽閉した上野台の台地が見える。

 平成二十三年度には「本多上野介正純公を学ぶ市民の会」が募金を呼びかけ、正純の墓碑を移し、併せて嫡子正勝の墓碑が建立された。

本丸の場所に秋田神社

↑昔の本丸の所に鎮座している秋田神社

本丸には現在、佐竹義宣を祀る秋田神社がある。一八七九(明治十二)年に建てられ、建築資材に横手城本丸に使われていた木材が一部流用されている。秋田市の千秋公園にある八幡秋田神社を分社して建立された。柱の一つには戊辰戦争時の弾痕が残っている。 

 横手城やその周辺は、争乱時の火事や利便性の追求によって、昔の姿をそのまま残すところはかなり少なくなってしまった。しかしこの秋田神社は、建てられた当時の姿のまま現在も存在している。横手城を訪れた際は、ぜひ本丸に位置する秋田神社の柱に触れていただきたい。

文/秋田大学 高橋

Information

横手城

横手駅より徒歩26分。車で7分。横手ICより車で10分。横手公園展望台4階展望室からは、広大な「横手盆地」、悠久の流れ「横手川」、雄大な「鳥海山」など、様々な風景を、四季を通じて、観ることができる。開館時期は4/1~11/30、2月の雪まつりで臨時開館もあり。

〒013-0012 秋田県横手市城山町29−1
☎0182-32-1096
■定休日:火曜日
■営業時間:9:00~16:30

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