
旧石田理吉家は一八一九(文政二)年に石田久兵衛家から分家した。戦前まで醸造業を営んでいたが、戦後は病院を開業して地域住民を支えてきた。平成23年度に土地及び建物が市に寄贈されている。

県内でも珍しい木造三階建で、座敷蔵と共に市指定文化財に指定されている。5寸角の通し柱が9本あり、これにより外観の垂直性が強調されている。主屋は応接用の離れや別荘として使われていたといわれ、現在増田で公開されている家屋で唯一住居人がいない。主屋と表通りに面した塀の間には庭園が広がっている。増田の商家建築として前庭があるのは稀である。



この三階建ての主屋は、一九三七(昭和一二)年に6代の理吉氏により上棟された。1階に和室が2部屋、2階は和室と洋間、3階は和室の大広間という部屋構成になっている。床の間の柱に台湾産のシャクナゲ、欄間に高級木材の黒柿、廊下には欅の木など、1階にはさまざまな銘木がふんだんに使用されている。2階への階段を登り切ると手前に和室、奥に洋間がある。2階は和室と洋間で、同じ廊下でも天井や手すりの造りが違い、数歩行き来するだけで違う趣が味わえる。部屋の中を見てみても、天井や壁はもちろん欄間やふすままで明確な違いがある。特に洋間の天井は、一部が上方に凹んでいる折上げ天井となっている。大広間になっている3階からは、以前増田の花火が見えたという。



一八八一(明治一四)年に5代理吉氏によって上棟された内蔵は、黒漆喰と白漆喰のコントラストが映えている。入口は四段蛇腹と呼ばれる明治時代の特徴的な蔵の造りで、磨き漆喰仕上げが施されている。左官職人の見事な技により百年以上経った今でもその光沢を見ることができる。
一階の壁には一尺間隔で栗の柱が並んでおり、唐木三大銘木と言われる鉄刀木(タガヤサン)、紫檀(シタン)、黒檀(コクタン)が床の木材として使われている。二階に上がると豪快な小屋組が現れ、杉の重ね梁の存在感に圧倒される。一階は板の間と床の間の座敷二間だったが、二階は文庫蔵としての役割があり、什器等の収蔵庫として使われていたようだ。二階には現在、石田家からの寄贈品が展示されている。
文/秋田大学 高橋