
横手盆地の南東部に位置する横手市増田町。この町はかつて岩手県や宮城県へと通じる交通の要衝として賑わっていた。
増田は、南北朝時代に小笠原氏が城を築き、その後関ヶ原の戦いまで土肥氏に統治されていた。江戸時代に入り佐竹氏が入部して以降は、商業活動が盛んになったと伝えられている。成瀬川と皆瀬川の合流点に立地している増田は、物資や生産資材の集配地に適しており、葉たばこや生糸の生産量は県内最大規模を誇っていた。明治時代、社会構造の変化を経て増田はさらに商業活動を展開させる。商人たちは、現在の北都銀行の前身である増田銀行や、増田水力電気会社などを設立した。
商人地主町として栄えた増田。その繁栄を今日に伝えるのが、七日町商店街通り(中七日通り)沿いに集中して現存する「内蔵」と呼ばれる土蔵だ。
明治から昭和初期にかけて商人地主たちが贅を競うように建てたとも言われている。古いものは一八四七(弘化4)年、新しいもので一九三五(昭和一〇)年に建てられ、現在48棟が現存している。なかには国登録有形文化財となっているものもあるが、ここまで注目されるようになったのは平成一七年に写真集「増田の蔵」が発刊されてからである。